本音を言うと、すごく苦手した…
もっと本音を言うとまだ苦手意識あります。
苦手だからやらない!なんて事はないですし、やってきました。やってきてみて感じたことや、考えが変わってきたことを書いていきます。
■何が苦手だったのか
【漠然とした恐怖】これにつきます。
学生の頃から講義で必要性を習っていたとは思いますが、あまり興味を持てずでした。興味どころかやってもないのに苦手意識がありました。
「知らない人の家」と言うのがとても嫌でした。コミュニケーションは楽しめる性格なのですが、友達の家ですらあまり入りたいと思わないので、見ず知らずの人の家に行くなんて…と言う感覚でした。
何が怖かったのか、今考えてみると
そして在宅への苦手意識の一番の理由は
「在宅医療が必要。という事はかなり死に近い」事が予想される。
この「在宅は死に近い」という感覚がのちに、在宅の大切さに気がつく重要な感性でした。
■とはいえ、やり始めた。
4年目くらいで転機が訪れ、個人的には怒涛の勢いでやり始めるようになりました。
他店舗への応援として行くことになったからです。全くやったことないわけではないですが、「やりたくはないなぁ」と言う気持ちのまま系列店舗への応援で一日中在宅という環境に身を置くことに。期間は短いです。大体2ヶ月くらい。一日で15人前後を訪問しました。全て個人宅です。
■実際にやるようになって…
◦外来の投薬時、患者さんの意図するところが今までよりも「深く」「リアリティ持って」「より早く」汲み取れるようになりました。
在宅をやる事で患者さんの家がどのような状態かを見た経験が増えていくので、その経験が蓄積していくと外来でスムーズになるという事です。いろいろな環境が想像できる中で、見当をつけられるようになるのは患者さんのためにもなります。
◦「死の近さ」についてはやっぱり強く感じました。
だからこそ、薬剤師が在宅医療に関わっていく必要があるなと感じました。ずっと書いてはいますが,まだ死の近さについて説明してないので、次の項で説明します。
■死の近さ
在宅をする前と後とで、考え方は微妙に変わりましたが、怖いという結論は変わりませんでした。
◦在宅をやるようになる前。
⇨「在宅になるという事は、いつ何があってもおかしくない」第一発見者とかは心がもたないなぁ。という事ばかり考えていました。
◦在宅をするようになった後
⇨「在宅になるという事は、いつ何があってもおかしくない」というのは変わらないけど、何かが起こらないように、もしくは何かあっても対応が早くできるように、在宅医療を行っているんだな。という当たり前のことを理解し直す事ができました。
当たり前のことなんです。わかっていてもやったことない怖さや、悪いイメージのまま想像してしまうので、当たり前の事が見えなくなってしまいます。まさに僕は悪いイメージ先行で想像が進んでる状態になっていました。
悪いイメージ先行によって、自分本位に考えすぎていました。
■僕なりに見つけた在宅の意義
「死の近さ」ばかりが見えていた僕が考え直して見つけた「在宅の意義」は、
「患者さんとその家族が、自身の生活や家族の生活について考える時間を増やす」
というものです。患者さん自身が薬を管理している場合もありますが、ご家族が管理して多職種でフォローする。という場合もあります。
患者さんや、ご家族は「薬の飲むタイミング(用法用量)」「どういった薬を飲んでいるか(効能効果)」を知っていただければ充分なのかなと、僕は考えています。
もし「患者さんが薬を飲んでくれない。」という時に、
薬剤師ならば自然と、薬を中心に患者さんのことを考えて「服用時点の変更」「剤形の変更」場合によっては「薬の削除」などの提案を行いますよね。
また、僕の経験の中であったのが、「薬を飲む姿勢が悪くて」喉につっかえるから薬を飲まなくなった例です。
患者さんの生活スタイルを見て、本人や家族に話を聞いてみたところ、リクライニングベッドを少しだけ上げて体を起こした気になっていたようでした。
横になってる状態と変わらない状態では嚥下は難しいですよ!という話になりました。
もし薬剤師が介入しないでいると、患者さんやご家族が考える事が必要以上に増えて、自分たちの時間を過ごす事が難しくなってしまいます。本人たちはやった気になっていても、実は上手くできていないこともあります。
実際に薬剤師が関わっていくことで、QOLを少しでも良い状態に保てるようになるんじゃないか。これは在宅医療を行う上でひとつの意義なのではないかと考えています。
僕の感じた意義を強要するつもりはありませんが、皆さんが各々の在宅の意義を見つけて、患者さんに還元できたら、素敵な町作りが出来るのではないでしょうか。…急に町作りとか大きなこと言ってみました。笑笑
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